細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

解雇改革

ジュンク堂で労働法のところじゃなくて人事管理のところに置いてあったのは意図のあることとなんだろうか。誰のどんな意図か気になる・・・。大内先生のベクトルとは合っているんだと思うけど法政策の話だからな〜。
契約法16条、解雇権濫用法理の改正とは何か。大内先生も権利濫用法理の適用がないとは思っておられないわけで、いまの解雇権濫用法理の適用のされ方がよろしくないとのお考え、だよね?・・・正当事由説と濫用法理は論理的には両立すると思うのだけど、それで濫用法理の適用範囲が変わらないなら、それは多分先生の意図ではないよね。濫用法理の適用範囲を変えることは、もちろん現実が変われば変わるのだけど、法律に手の出ることなんだろうか・・・。あれあれ、そもそも契約法(いや労基法18条の2か)により新たに基礎付けられた権利義務関係ってあるのか?
現時点で私が思うに、契約法16条=旧労基法18条の2で新たに定められた権利義務はなく、したがって、同条の削除・改正は、その限りでは法律的な意味を持たない。でも何か、例えば正当事由要件を書き足すことで、権利濫用法理の適用範囲が変化することはありうると、直感としては思うんだけど、具体的な方策は思いつかない。ううむ・・・。
どう書き足すのがよいのかを考えたときに、いま、経済的解雇については何も書いてないんだよね。経済的事情は正当事由たり得る、それは誰も否定しないわけで、それがそんなに狭いのか、とくると・・・ケースバイケース?
狭くもないものを狭いと感じさせてる幽霊がどこかにいて、もちろん本当に狭いと認識している人もいて、だけど書いてないから幽霊なんだか違うんだかわからない。だから書くべきだ、っていうのもわかるけど、やっぱりどうやって。
どこまでいっても何を書くべきか、を悩む話だ。
で、ここで。それを会社に書かせて労働者に選択させるというのは、何を書くべきかに答えない一つの回答であるけれど、賛成しがたい。超大企業ならできるだろうけど、従業員100人クラスの中堅どころでも、就業規則はモデルを写しただけなんてところはざらなわけで。行政が作るモデルはそう要求水準を高くもできないし、結局低位横並びで実質選択の余地がないのに労働者の選択のせいにされてはかなわない・・・。
ということで、いまのところ思うのは、経済的解雇要件の明確化はありうべし、経済的解雇については明確化=まずは必要なだけの緩和(幽霊がいると思ってる)、明確化をさてどうやって書くべきか。
もう少し考えよう、なのでした。

ときに、解雇制限を主として期待権の保護から導く語りは、法学以外をたぶんすごく意識されてて、そして確かにどれより説得的だなあと思うのでした。