細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす

hamachan先生の新書3つ目、1つ目は政策論、2つ目は歴史論ときてこれは教育と労働との接続。そしてその点ではなかなかに海外比較、というか日本以外と違う日本の特質。ジョブ型の海外と比べれば、メンバーシップ型のわが国は(現在においてもなお)技能のない、さしあたり何の役にも立たない若者が就職しやすい国だということ、日本の教育(特に大学)には職業的レリバンスがない(少ない)こと、長期的には全員ジョブ型を、短期的には「ジョブ型正社員」を目指すべきこと。
ブログを読み1・2冊目を読んでいればすごく新しい話はなく、読む前に(hamachan先生ご案内の)いくつかのブログで「若者に薦めたい/薦めて大丈夫か」なんて書評を読んでいたのでどんな過激な(?)と思っていたのですが特段過激な話でもなく。就職活動をする学生が、この本を読んで自分を客観化できるならば、ぜひお勧め。少なくとも面接の場で若者が基準法を語り出すようなものにはなってないはず(それをするのが就職にマイナスとなるだろう現状の是非はともかく。)。
私の頃はまだそれほどでもなかったし、私は就職活動をちゃんとやって就職したわけじゃないのでコメントする資格はないかもですが、自己分析って冷めた目で見れてでも真面目な振りをして言えるのでないと就職活動の役には立たないと思います。まあだからこの本で客観視できるようになればそれでいいのか。あれ、話ずれた。

ええと、読み終えてどう咀嚼したものかちょっと考えあぐねてる。「ジョブ型正社員」を広げるといったときに、この本に出てくる”ジョブ型”を想定すると、そんなのって広がり得るんだろうか、と。
いえもちろん、昔ながらのメンバーシップには弊害が山とある、ブラック企業とかブラックじゃなくても過労死とか。昔ながらの、は実状に合わないか、それら最近前景化した問題を解決する(減らす)ために、メンバーシップは薄まらざるを得ないし薄めなければならない。そこで私が思い浮かべるのは、解雇がいまより少し(裁判で)認められやすくなり、労働者がいまより有給休暇を取るようになり(これはメンバーシップと関係ない?)、配置転換がいまより少し(裁判で)認められにくくなり、残業がいまより少し(法規制で/無理かな?)認められにくくなり、転職に罪悪感というか不適応のレッテルがいまよりもっと貼られにくくなる、そんなイメージ。でもこれって、ぜんぜんほとんど”ジョブ”ではない。新卒一括、白紙の者の採用を前提とできるイメージ。
で、語られている「ジョブ型正社員」は(そしてこの読解は間違ってないと思うけど)、勤務地職種労働時間限定労働者、その勤務地その職種での仕事がなくなれば解雇されうる労働者。新卒一括採用で「正社員」になり損ねた非正規労働者の受け皿。
だけどこれって、どの辺が”ジョブ”?この人たち、欠員補充方式で募集される?とりあえずそうだとして(そこまでは一応イメージできる)、入社の段階で、”ジョブ”を持ってる求職者がいったいどこにいるのだろう。そもそも募集する側だって、いまの日本でほしい”ジョブ”を定義できる会社がどれほどあるのだろう。欠員が出て組立工でなく機械工を募集する、そんな募集、現実にどれほどあるだろう。営業のジョブ(の証明)って職歴以外になんだろう。営業の職業訓練なんてあり得るのか。職歴以外に証明がないならば、氷河期に非正規になった労働者の受け皿足りえないだろう。
出口においてさえぴんと来ない。営業、企画、管理、経理、入社した労働者は、確かにどこかのジョブに就く。営業が一人いらなくなった、それは何となくジョブに見える。だけどそれは、頭数が一つ減る以上の意味を持つのだろうか。地頭のいい営業さんとそうでない企画さんがいたとして、営業が一人いらなくなって地頭のいい営業さんが解雇される、そんな状況はとても信じられない。それでも経理や営業はなんとなく他と区分される気はするけれど、ホワイトカラーのジョブってそもそも何だろう。
この本に書かれてあった海外の(、あるいは昔の日本の)こういう”ジョブ”を想定すると、「ジョブ型正社員」には全然現実味を感じない。だけど、こういう愚痴というか批判だけを書いてる自分も嫌なのだ。現実に問題が見えているのに解決策が見えないからって何もしないという政策担当者も研究者もいない(いたらいただけない)だろう。

「ジョブ型正社員」は、キャッチ―な名称として”ジョブ型”と銘打ってはいるものの、この本で言うような”ジョブ”を前提としたというよりは、「より薄いメンバーシップ型」ということなのではなかろうか。そう割り切れば、それは目指すべきもので、少なくとも増やすべきものだと納得できる。私が考えあぐねていたのは、「ジョブ型正社員」と”ジョブ”の間の溝にあるということか。
それはさらにいえば、”ジョブ”とは、技能によって定義されるものなのか、契約によって定義されるものなのか、ということなのかも。職業訓練を受けて技能を得た求職者がある技能を要するジョブの募集に応募する、それはそれでわかりやすい構図(これがこの本で縷々説明されてきたジョブ)だけど、「ジョブ型正社員」で言うところのジョブは、「営業を募集しています」(のであなたの仕事は営業です、営業の仕事がなくなれば解雇です)という、技能があろうがなかろうが契約によって定められるジョブなのでは。そういう意味では「限定正社員」の方がわかりやすい、けど、「ジョブ型正社員」の方が政治的に穏当だろうな(^_^;)。

そういう意味では海外のことがもっと知りたい。特に文系ホワイトカラーにおいて、”ジョブ”っていったい、何なんだ?NC旋盤を操作できる、CADを使える、強度計算ができる、簿記ができる、技能とジョブが結びつく世界はもちろんたくさんあるけれど、法務部はともかく人事部総務部、企画営業、広報広告、いえそれぞれジョブはあるけど、OJT以外の習得方法ってあるんだろうか。いったいどうやって人材は育成されているのだろう。はじめて働く段階ではやはり契約だけがジョブを規定するものなのか。いったいどうやって人の技能を見るのか・・・そりゃ新卒じゃ採用されないわ。でも世の中の人間はすべて最初は新卒だ。海外の大学の、職業的レリバンスってどんなもの?海外にだってもちろん文学部もあるわけで。
アパレル志望の友達が言っていた、「大学なんか行っても何の役にも立たない、専門学校卒じゃないと使えない」、彼女はめでたく就職し、ここにはちゃんと職業的レリバンスがある。きっとなんらかの”ジョブ”もある。だからといって彼女が職場で”It's not my business.”と言うとは思えないけど。ジョブっていったい、なんなんだろう。

わかりやすい本でしたが、やっぱりむつかしい。いろいろ考えさせられました。
以下は勉強用の備忘録。


 契約によってジョブを限定した場合、ジョブがなくなれば本当に職を失うのだろうか。それはそれでもちろんありだと思うのだけど(働く側としてもかけ離れた職種でまで働かないといけない/自己都合退職で退職金が下がるよりは解雇して高い退職金を払ってくれというニーズはあるだろう)、ジョブ限定以外も含め解雇事由の定めを労使間で結びそれにより解雇の有効性を判断することにつき、むかし「それは契約法16条の強行法規性と矛盾しないか」と指摘されたことの回答を私はまだ持ってない。いや権利濫用の総合判断の材料にはもちろんなるだろうけれど、当該契約の締結過程も含めて。(←あのときその場では回答できなかったけど、回答ってこれでいいのかな。)
でも結局裁判所に丸投げなのか。いいのかそれで・・・?

余談。いいのかそれで、ってことは多少私も思って、そして特区戦略会議さんはそういうことを言いたいんだろうなと思うけど、まあ16条の適用除外なんて話はさておいても、たとえば「合理性の判断において契約条項は尊重すべき/考慮すべき」というガイドライン厚生労働省に書かせたとする。いや、法律に書き込んだとする。でも結局、契約の締結過程、その後の状況、全部ひっくるめて見るしかないってことは変わらないよね、筋が悪い。

契約でジョブ限定しててそれを考慮しないって言った判決あったっけ?やっぱりないっけ。調べるならそこからか。