細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

労働時間制度改革

副題「ホワイトカラーエグゼンプションはなぜ必要か」ということで大内伸哉先生。しばらく積ん読になってましたが、読みにくいわけではなくこのたび読了。
大内先生は(そしてほとんどの労働法学者は)本質的に規制強化論者なんですよね。この本も半分ちょいはそういう話、絶対的な上限とか、インターバル規制とか。そしてホワイトカラーエグゼンプションは残りの半分、だけど…大内先生、理想主義だな...。
裁量労働制がなぜ使いにくいものになったのか。そして裁量労働制適用者がどれほど長時間労働をしているか。それを考えたらホワイトカラーエグゼンプションがそれより使いやすいものになるとも思えないしすべきともあまり思えない。いや、使いやすくすべきかもしれないけうれど、そのためには大内先生反対の年収要件が不可欠だと思うのです。
年収要件は、当然「年収が高いから労働時間管理はいらない」なんて理屈が立つものではない。けれど年収はある程度やはり交渉力の表徴で、これを言っていいかどうかはわからないけれど労働者の(労働力の取引に臨むに当たっての論理的・経済的思考)能力の表徴でもあると思うのです。「エリート」の表徴でもある。そして、外から見て明確で、かつ使用者の言い値になることもない。企画裁量も専門裁量も管理監督者も年収要件でエグゼンプション&健康確保措置に一本化すればいい、といいたいところなのですが、これもまた非現実的な理想主義だよな。
エグゼンプションとのバーターでなく、健康確保措置ができればいいんですけどね。


後書きに代えてショートショートが巻末に3つ。前2つは「労働者が残業代を当てにしている」ことを解決しなければ労働時間改革は困難、ということかと思いますが、最後がわからない。年収300万の労働者にエグゼンプションが適用される、それは私も含め反対派が本気で心配していることで、かつ、年収要件がなければ直ちに大いに現実化することだと思うのです。(年収要件が設けられればそこまでは下がらないだろうと思う。)年収要件なしにそれを防ぐには、裁量性並みに使いにくくなるしかない。先生はそうならないとお考えなのか、もう少し書き込んでもらいたかったなぁ。