細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 上・下

J.K.ローリング。さてわたくし、ハリポタ嫌いだ嫌いだと過去に書いたことがあるかもしれませんが、まあいまでも好きか嫌いかと聞かれたら直ちに好きとは答えられませんが、しかし、この第4巻、直前の第3巻でかなり評価を上げました。いくつか留保をつけたうえで好きだと答えると思います。
今回はそんなに気になる日本語もなかったし、フォントの数もたぶん2種類しかなかったし、まあもちろんそれらは重要ながら末節でして、最も重要なことはこの2巻でセブルス=スネイプがようやくひとに、そして魅力を持つひとに、見えてきたということです。疑問も多々残ってはおりますが、とにもかくにも、彼には彼の考えがある、ことがわかる。それが何であるかはまだわからなくても。
・・・先へ進むとネタばれになりそうです。下へ。

→ Amazon.co.jp 私にとってマルフォイは、まだ「記号」にしか見えません。ましてや「スリザリン」という存在をや。ダーズリー一家はさらに、もはや記号以外には見えない。ええ、「まだ見えない」は、一応期待をこめた表現です。ここまで期待するところまで、私のこの作品の評価は上がったということで^_^;。
ここでの「記号」とは、「ハリーに害をなすための存在」、ただのその「役割」が、形式上ひとの皮をかぶっているだけのもの。彼らが何を考え、なぜハリーに害をなすのか、ダーズリー一家の場合はその態様が極端すぎてひとのなすこととは思えないし(理由として提示されているもの自体は理解可能)、マルフォイの場合は理由が皆目不明で(この巻で少しましになりましたが、もしマルフォイが完全にヴォルデモートの側に立つのであれば、今度はハリーとの関係は説明できても周囲の社会との関係が理解できない。だからマルフォイよりもスリザリンという存在はなおさら意味がわからない。スリザリンが丸ごとヴォルデモートの側にいるなんてここまでの話からすれば有り得ない。それでは他の3寮とのあの異質性は何なのか。スリザリンのいいところ、って何なのか。狡猾って訳語が悪いのか?・・・あるいは、魔法界の4分の1はヴォルデモートの側なのか(それならそれで分かりはいいが、今までそう書いてあったとは到底読めない)。

スネイプについても疑問はいっぱいまだあるんですけど。
例えば、4巻終了時点でのスネイプの立場とマルフォイ父の立場を鑑みるに<その立場は1巻時点からスネイプにとっては自明のはず>、スネイプがマルフォイを贔屓することは私には理解不能です。まあこれは、そのうち解説されることを期待する疑問でもありますが。
ある「ひと」が「わからない」ことはまだいいんですけどね。「破綻している」と感じられる、のは嫌。「ひと」として見たときに破綻しているのなら、ひとの形をしていても感情も理性も持たない道具立て、記号でしかない。
ダーズリー一家はもうあきらめて(そして物語上も諦めて良いはず、もはや必要ではない)けれどその他の害をなすものがみなひとであることがわかるように、心から期待をしております。