細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

月冠の巫王

月神シリーズ4作目(これがちゃんとしたシリーズ名みたい)で。
あれあれ、えっと、終わっちゃった。もう1冊あるんじゃなかったの?・・・それは私の一方的な誤解で、確かに前作のあとがきにも四分の三が終わったようなことをお書きでいらっしゃいました。おんなじ装丁の本がもう1冊あって、今調べたらそれは同じ世界観でも時代を下ったお話でした。
さて物語は収まるべきところにしっかり納まり、そして大きく出たな、という結び(千年王国、という文字の並びはレトロだと感じるのは何故だろう)。いえ縄文の物語とみれば、ちっとも長すぎはしないのか。縄文弥生の出会い、「弥生時代」を画するものは「稲作」だと思っていたら「水耕稲作」だったようですね。小学生のころからこちら、ちゃんと認識してはいなかったなあ。「弥生」との出会いでも紀元前千年はいけるかもしれないし、焼畑稲作がなされる縄文後期を考えたら、千年王国くらい余裕でいけるのかもしれない。「王国」に少々落ち着かない気もするのだけど、大人になってからも理解のための単純化に引きずられすぎてはいけないよなぁ。(狩猟/農耕、平等/身分、そんなに何もかもが一度にセットになるものかは)
大きなお話の流れは揺るぎないのでそのほかのところ、濁った瞳の川の神、柵の木の神が印象的です。この世界の神は決して万能ではなく、ひとに拠るところも大きく、打てば響く。恨むし喜ぶ、でもやはり畏敬を受けて然るべき存在。ポイシュマも腹を立てるし嫌うし憎む、けれど彼はいったいこのさして長くない1冊の中で何度謝り、何度感謝を捧げたことだろう。謙虚、とは少し違う、共感する幅の広さというかやわらかさ、そしてそれに打てば響く神々が美しい。
けがれ、というものが少し手の届く概念になった気がする。ファンタジー、けれど下敷きは明らかにあるので、それを踏まえられる私だったらなおいいのに。
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