細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

井沢元彦の学校では教えてくれない日本史の授業

井沢元彦って、こういうもの書く人なんだっけ?と読了後にAmazon見てみたところ、確かに。この人のジャーナリストのイメージが自分の中でしかるべき場所に落ち着いてない気持ち。
さて、書いてあったことの中身は、興味深く頷けるものでした。日本史家の「細分化」と「わかってなさ」への批判は読みたくありませんが。
確かに通史の教え方というのは工夫が必要かもしれないけれど(ばらばらの書き手が各時代を書いて並べたのが通史かというと、それはどうかという話は賛同)、専門領域が細分化するのはそれだけの専門性、すなわち細分化の必要があるからで。研究者がこの本くらい大雑把(名の読みがかなり近いから同じに決まってる的な)でたまるか、とは思うし、怨霊信仰や言霊信仰の解釈も私にとってこれまでの日本史知識の連続性の上で納得できるものだったし、・・・(だから、学者がわかってないという話とは違うと思われ、ある解釈をどこまでの根拠で「主張する」か、「事実という」か、まして「教科書に書く」かという話かと)
何というか、書いてあることはいいと思うけれど、余計な批判がなければ、学問への正しい尊敬があれば、もっと素直に読めるのに・・・。それじゃ売れないのかな。
続編もあり、「逆説の日本史」も同様のようなんだけど、続きを読みたくもあり読みたくもなし、複雑です。

my箸・茶碗と穢れの話面白かったんですが、茶道の茶碗って譲る対象なんですよね。そもそも濃茶は回し飲みするものだし。でも日常の箸や茶碗や湯呑はカトラリーの「どれでもよさ」とは確かに違う(うちでは箸も湯呑も誰のか決まってないけど、それでも。実家では決まってるし)。そういう研究、ないかなあ(笑)。