細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

背教者ユリアヌス

辻邦生の古典。文庫では3巻本、今年後半の長期読み物(ちなみに前半のそれはミシェルでして、こういうずっと抱える本とすぐに読む(または読まない)本が同時平行)、かつ最後の読み物。なぜ読み始めたかはもちろん去年の塩野七生を読んだからで、最後のローマ人の物語を横目に見ながらしかし断固こちらを先に読了せねば。で、読了後去年のローマ人の物語をまた読んだり。
両方併せてひとつの物語を読んだような気分です。悲劇の結末を最初にもう知っている。(っていうか、最初から悲劇であることも導入部から知っていてこれまたどきどき。)にもかかわらず、か、だから安心して、か、感情移入のできる英雄譚。面白かった。そして今、不思議なことに気づくのです。ローマ人の物語を読んだとき既に、私はユリアヌスに感情移入していた。そして背教者ユリアヌスを読んでローマ人を読み返したら、そのユリアヌスには感情移入できない、というか塩野七生の批判的な視点が目に付いた。そりゃ、そもそもこの二作は書き方が違うから、比較すれば塩野版のほうが感情移入しにくいのは当然なのです。ところが、それでも感情移入の根底にある「ユリアヌスの古典への愛」は、私の中では辻版じゃなくて塩野版によるのです、かなりはっきりと。古典への愛じゃなくて神殿への愛だったら辻版なんだけど。でも感情移入の根っこは神殿への愛じゃなくて古典への愛なんだ・・・。
塩野版を先に読んだから、って言ってしまえばそれまでなんですけど、いえ、サルスティウスとかダフネの神殿とか対コンスタンティウス戦の進攻とか、それから創作部分ももとより辻版には魅力いっぱいなんですけど、読み比べの喜びとか二度読みの喜びとか初読の喜びとか、やっぱローマ人の物語好きだなあ。