細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

キリストの勝利

今年もお待ちしておりました、ローマ人の物語14巻。この毎年の年末のお楽しみも、来年でおしまいか〜(涙)
ユリアヌス、背教者ユリアヌスって、こんな人だったんだ。っていうか、そのフレーズは耳になじんでいたのだけれど(辻邦生の本が家のどこかの本棚にあったんだろうきっと)、この時代の、ここローマの人だったって、知らなかった。ひどく若い、良くも悪くも、けれど基本的には良く若い、そんな人物像が書かれていたと読んだ。実際にも享年32歳(いま手元に本がないので、31歳だったらごめんなさい)、もちろん若いのですが。古典の教養と哲学は、若者の特権だ!ってか、いつまでも若くあるための特権だ。これが誤読でもいい、そう読んだんです。古典と精神の衛生についての約2行、読んでいて幸せです。
ところで、上で書いた「ここローマ」でもはやイタリアを、少なくとも都市ローマを思い浮かべると間違いになってしまう、という事実が、このシリーズで塩野さんが私に教えてくれた最大のことかも知れません(紀元4世紀のこの時代、ローマの中心?皇帝の所在は、もっと東だったり北だったり)。

→ Amazon.co.jp さてタイトルはキリストの勝利、そういえば怒るユリアヌスを怒るイエスに似てると言ったその塩野七生の描写には破顔屈服するしかないのですけれど、と、それは余談で。キリストが、キリスト教が勝利したのはうっかり(?)皇帝が洗礼を受けてしまったからなのか、どこかの司教様(この本によればミラノの、です)がその所属する組織のために(?←この人の動機がわからない〜、この本の前提に立てば少なくとも信仰心ではないようですが。まあ、組織は本質的に強化を求めるものかしら。)素晴らしい政治力を発揮したからなのか、いやそれだけじゃないと思うのだけど。(塩野七生がそれだけ、って書いてるわけじゃありません、決して。)帝国が自ら自らに(外敵から内を守ることによる)正統性を付与することができなくなったから、という通奏低音があるという理解は、たぶん誤読ではないんだけど、ああもう、どうしてそこで一神教なのか、いえ一神教じゃないと意味ないってわかってるけど(八百万のカミサマには唯一の正統性は付与できないから)、あー。
・・・あらかじめ申し上げておきますれば、私のキリスト教観は、犬養道子旧約新約聖書物語とともに、塩野七生からできております。ほんとほとんどすべて、お二人からです。犬養さんはキリスト教徒で、塩野さんはキリスト教徒ではありません。ご留意くださいませ。
(ところで、犬養さんの上記2著作は、敬虔かつ中立的、史実や史料の研究状況も踏まえた(77年では在りますが)もので、キリスト教徒の方にもそうでない方にもお勧めします。特にキリスト教って何だろう、と思われる方、ぜひ旧約の方から一度。)

次は辻邦生も読むぞ〜♪しかししまった、実家の本棚チェックしそこなった(-_-;)。