細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

チューリップ・タッチ

アン・ファイン。灰島かり訳。図書館で出会う「子どもの本」の恐ろしさのひとつは、読み始めるまでどんな話かまったくわからないことが多いことだ。それは配架の問題なのか、装丁の問題なのか、単に私が一般の小説をたいして読まないからなのか、一般の小説のジャンル分けに対する感度が鈍いからなのかはわからないのだが、久々にそういうショックを受けた。・・・平然とおとぎ話と並べていていいのか、これ。でもこれら、括るとすればヤングアダルトと呼ばれるもの、だけを特別に配架するのも反対で、いや、探す人のためにYAだけの棚はあってもいいんだけど、普通の棚にもこれらは混じっていないと、出会えないかも知れない、それは嫌だ。・・・・上の恐ろしさ、ショックは、結局どうしたって必要なものなのだ。
さて、書きたいことを書くためにはどうにもこうにも相当にネタバレですので続きへ。
一言だけ申し上げておけば、(上記でわかると思いますが)ものすごくお勧めです(ただしプレゼントには向きません、あしからず)。
→ Amazon.co.jp 語り手ナタリーは、チューリップに飲み込まれ、そして切り離す。その切り離す心の動きがあまりにも哀しい。それは残酷で、彼女はそれを自覚している。けれど彼女はそうするしかない、「自分自身の命を守るために」。それは外から見れば、一人の少女が問題行動から立ち直ったという美談なのに、彼女はひたすら罪の意識を感じている。そしてそれはまさにそうなのだ、チューリップは「正反対の方向に同じだけ進んでしまった」のだから。
ナタリーの父親と同様に、チューリップをかわいそうがる私がいる。けれどナタリーがくってかかったように、「かわいそうがればいいってもんじゃない」。それはチューリップに何の手も差し伸べない。だから?どうする?結局私は、何もしやしないのだ。
私が何もしないなら、冷静に考えてこれは救いのない話なのだけれど、しかしすごくてかつおそろしいことに読後感はそうではない。それはきっとナタリーの、チューリップのために感じる罪の意識とそして怒りが痛々しく切実で、揺れる火の色のイメージのようにとても美しいからだ。