細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

学力と階層

苅谷剛彦。階層が学力を規定する、学力を、というか学力を得るための努力の仕方、勉強の楽しみ方、それは家庭の在り方に大きく影響されて、そして結果に影響する。機会の平等とは、いうほど簡単なことじゃない、そういう話。
それだけだったら薄々わかってるというような話だったんだけど、うわ、と思わされたのは、教育の在り方がその格差を拡大する、というところ。
私はゆとり教育と呼ばれるものの理念に反対でないのだけれど、そういうもの、総合的な学習、自主性を求める学習、それはつまり「学校が教え込む」の範囲を狭め、すなわち家庭が影響する範囲を広げる、つまり格差が拡大する(教育=学校が縮小していた格差の縮小幅が縮む)。・・・・・だめだ、それは。
議論をする時の論点、視点の置き方、課題の設定の仕方、そして調査、分析。理念だけで議論をしてはいけないのだと痛感する。
でも、「教育は徳育をすべきか」はやはり理念なのかしら。・・・それとも、テクニックだろうか。徳目を(ベタに)教えることは、多様な価値観を否定することだ、というのは理念の話。教えて教えられるものじゃないだろうとか、そもそも日本の若者の犯罪率は低いとかはテクニカルな話?・・・そもそも「ベタに」と書いたように、この問いにはHowが不可避にくっついていて(「多様な価値観を肯定する教育」をすることは抽象的には肯定される)やっぱり、議論の在り方を考えるべきなのか。

いくつかの機会の論文などを集めた本なので、多少話題が拡散しているきらいもありますが(上で書いた話題2つは別の話だからね)、とても興味深い本でした。内田樹氏の解説には途中からなんか凹んだんですが(よほど狭い世界での明示的な競争を強いればともかく、解説にいうような無意識レベルでの問題なら他人の努力を妨害することが合理的な選択にはならないと思う、それは余計なエネルギーを費やして自分の努力にマイナスだから)(前半はそうだな~と思ったんだけど)、それもひっくるめていろいろ考えさせられました。