細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

「ニート」って言うな!

本田由紀内藤朝雄後藤和智光文社新書。もう新しい本じゃないと思うけど、まだ2006年刊なんですよね。本田先生のブログが開いていたのはいつまでだったかしら。ようやく購入、読了v
さてこの本、・・・個人的には本田先生の分だけでいい。けど、たぶんこの三者だったから本の形にまでまとまったのでしょうね。内藤さんの社会の憎悪のメカニズムは基本的にニートの話ではないし、そりゃニートを含むものだけどこのタイトルで出版するならもう少しやりようがあるのでは。その辺が、確かにニートの言説を紹介している後藤さんの部分とも少し絡まってればよかったのかと。
さて、本田先生の部分は重要なのは客観的データ(そしてそれに目を向けること)だから、ぼちぼち要約を試みてみたいと思います。

<ってなわけでちょっと作業中放置>
<ようやく作業する2008年1月 :追記に記載>

私はニートをめぐる社会の反応はかなり妥当ではないと思ってはいますが、玄田先生が社会を誤らせる方向での発言をしているとも思っていません。まあその距離感というか評価の微妙さは、この本の中あちこち現れてはおりますが。(検討のうえある意味割り切って/割り切らないことには本田先生は声を上げられなかったでしょう/批判する本田先生は尊敬しますけれど。)それでも(多少玄田批判の趣のある)この本が出版されたことは、間違いなしによいこと健全なことであるかと。
→ Amazon.co.jp <ようやく作業する2008年1月 :追記部分>

本田先生の主張は基本的に「ニートは(ほとんど)増えてない!」というところに集約されるかと。
1992→2002年の非希望型ニート、つまり”仕事に就きたくない若者”の増加数は約1万人、2%増なのですね(全体で42万人)。
この間、失業者である若者は65万人(2倍)増の129万人、非求職型ニートつまり”仕事はしたいけど今はちょっと仕事を探してない若者”は17万人65%増の43万人。ついでにフリーターは112万人増の213万人(※2004年)。
なお「ちょっと」とか「ついでに」とかの用語の選択、数字の紹介の順番には本田先生ではなく私の意志が反映していますので念のため。

ともかく本田先生のご主張は、「働きたくない若者は昔からいたし、その数は別に増えていない(ので取り立てて問題にすべきではない)」「失業者やフリーターの方が数も多くよほど問題」「ニートの内実はさまざまでひとくくりにできない(別途データあり)」「労働需要側(企業が何人の人を採るか)の問題が重要だ(それなのにステレオタイプニート論のせいで若者の問題にされてしまう)」「若者の就労支援としては、学校教育が職業的意義を持つ(仕事に役立つものになる)ことが重要だ」といったところです。

フリーターも失業者もニートも含めて若者の就労問題については、労働需要側要因が最大の問題だということにはわたくしも深く同意します。確かにニート論はそこをゆがめてしまいましたが、それは玄田先生のせいじゃないでしょう。企業のせいですらない。ゆがめたのは世の中一般にあふれる、そしていつの時代もある「いまどきの若者は」という思考だと思います。その意味ではこの本の作りは正しい、内藤さんや後藤さんの論はそれへの批判をしたいのでしょう(説得的に書けているかはともかくとして)。
だからといってニートをまったく論じてはいけない、論じる必要がないとは思いません。まず、ニートを論じ、ニート対策に予算を使ったからといって、失業者対策がなされていないわけではない。ハローワークは日々働いていて、例えば若者のトライアル雇用だけでもその予算はニート予算の上を行くはず(上記人数比からいってそうじゃなきゃ困りますが)。そして確かにニートには、ハローワークの(国の予算の)手が届かないのです、何かしなけりゃ(何かしたからって届くかどうかは別だけど)。
予算一覧表:第一生命経済研究所レポート「新たな労働法制と雇用政策」p2「働かないのではない、働けないのだ」という人は、統計に表れる「ニート」全体ほども多くはない。けれどそういった人はゼロではない。働いている私(まだニート定義の”若者”のうちには入る年代のはず)はその心情をほんとうにはわからないだろうけど、でもそれは身につまされる、ひどく覚えのある感情なのです。若者自立塾という処方箋はおぞましいけれど、まっとうなNPOにお金が流れるのは有り難いことではないでしょうか(”まっとう”なるあいまいな基準では予算は配れない難しさは承知の上で)。予算は別としても、「働けないのだ」という文章は、誰かを・・・私をなぐさめ、誰かに新しい視点を提示しただろうと。
確かにニート論はあらぬところに行ってしまった。あらぬところというか、それはたぶん予想できたところかもしれません(だってどの時代にも「いまどきの若者は」という思考はあるのだ)。だからといってそれを理由に「ニート」と言いださないことは、誠実な態度とは思えない。
本田先生の主張が「職業的意義」に紙面を割くことで労働需要側要因問題を薄めてしまうように(それはほんとは両立するので薄まるはずではないし、だから教育社会学者たる本田先生がこの本で教育の職業的意義の話をしないことなんて有り得ない、正しくもない、けれど紙幅は重要で、この本の中で需要側要因ははっきりと薄いのです)、小杉・玄田両先生がニート論を始めたことが労働需要側要因問題を薄めてしまったかもしれません。そうだとしても、ニート論を始めたことは否定できないと思うのです。
あらぬところに行ってしまった後だから、本田先生のご主張はよくわかるのです。この本は必要な本だった。けれどスタートは否定できない、どれだけ読んでもそう思うというのがこの本の私の感想でした。

・・・・・・・・そんなこと、本田先生はとっくにご承知かな。(>_<)