細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

ニート フリーターでもなく失業者でもなく

経済学者玄田有史、ノンフィクションライター曲沼美恵。2004年の7月ですよ、この本。改めて見て、ちょっと信じられなかったりする。それからまだたったの1年2ヶ月で、ニートという言葉はこんなにも世の中(←これは私の主観というか私の興味関心が向いている方向の世の中であることはどうしようもないのでご容赦を)にあふれている。
→ Amazon.co.jp ニートについては玄田さんが新聞に時々書いておられるのを見ているから、そんなに新しい情報はない(っていうかこの本が出たときにはこれがいちばん新しかったわけだけど(^^ゞ)。玄田先生の評論(分析?)と、曲沼さんの聞き取りが、一章ごと概ね交互に書かれる構成。決して硬い本ではない、読みやすい(学術論文を期待して手にとってはいけません。それから、聞き取りの対象も、ニートもいるけど「ニートに近いけど当たらない人」の方が多いのは、やむを得ないところでしょうか。)。
さてこの本では、中学生時代の1週間の職業体験が予防策として示されている。根拠はない、でも根拠なんてあり得ないし私は納得できるから、その提示には意味があると思う。で、兵庫のトライやる・ウイークは知っていたんだけど(余談ですがネットでぱらぱら見る限り、神戸新聞はとてもおもしろい)富山でも全県でやっているとは知らなかった。もちろん即効薬でも「直接」効く薬でもないけど、もっといえば「ニート」に効かなくてもいいけど。希望のところに行けるとは限らないけど、やりたいことなんて別にないかもしれないけど、それには意味がある。
仕事なんてなんとかなる。やりたいことじゃなくったってなんとかなる。やりたいことをやったつもりだって入ってみたらやってることはぜんぜん違ったなんてことだって、ありがちな話だ(最後のは私の話。ぜんぜん、は言い過ぎだろうけど、まあそれなりに。)。職場体験とニートにならないためにの共通項は、そんなところだろう。
やりたいことを仕事になさったのだろう、けれど誰だってたぶんそうであるように、その中でもいろいろあるのだろう著者おふたりの、ニートへの眼はやさしい。けれどそれでも、この本ははっきり言っている。できればニートは増えない方がいい。それはあなたのせいじゃない、だけどあなたはそこから抜け出したほうがいい。
「なぜか」動けない、それはあなたのせいじゃない、それでも必要な未知の誰かの、外からのきっかけ。この本のいうそのきっかけの、そのひとつであろうとしてこの本は、少なくとも最終章は書かれている。やりたいことを探せ、という進路指導の押し付けがましさは、私にも覚えがある。やりたいことなんてそう簡単には見つからないし、そう早くも見つからない。だいたいそんなことを言われた年頃には世の中の仕事をそういくつも知らないし、やりたいことは仕事じゃないかもしれない。
やりたいことじゃなくてもいい。この本ははっきりとそう言う。たくさんのニートに、いやむしろその周りの人々に、世の中に、それが伝わりますように。


追記1:でもこの本を読んでいちばん印象に残ったのは、ニートとはぜんっぜん関係なく、トライやるで勉強が遅れないかしらとうっかり子どもに話してしまったお母さんへの、その息子さんの反応。いい話。

追記2:アマゾンの書評で玄田先生がフリーターに余りに楽観的であることへの批判がたくさんあったのだけれど。それは無自覚に問題がないといっているというより、そう言うしかないということだろうに。その数と、この本がニートの本であるということと、正社員を無自覚によいものとしていいかどうかの問題提起のために。
そして同時に、ニートでも、フリーターでも若年失業者でも、それらが生じるのはこの本にも出てきているけど中高年の労働者が解雇しにくいからだという指摘はある。それはたぶん真実だけれど、じゃあ解雇が完全に自由なら、企業は正社員を雇うのか。(そのとき「正社員」ってなんだろう?)私はそうは思えなくて、そこで思考は手詰まりになる。若者はフリーターになるしかないのか。
「問題がない」と言い切ってしまうのは、その問いに是と答えてしまった上での一つの問題解決の方向だ。(フリーターだって企業は技能を向上させるようにすべきだし(というかそうでないところは淘汰される・・・技能の向上は収入の向上という手段でもってなされるべき/はずだ、というもう一段階が労働経済学的にはありそうではある。現実は・・どうだろう?)、フリーター独りの収入でパートナーを養うことは無理だから、2人で稼ぐ。)
もっとも、(私にとっても)それには感情がついていかないから、それが上に書いた批判の形になるのかなあ。