細波水波

さやさや揺れる風の中 さわさわ揺れる水の音 たゆたいながら月に10冊年100冊

梅原猛の授業 道徳

「仏教」の方は数年前に読んだんだよなあ、何が書いてあったんだっけ。忘れた、忘れたんだけど読んだ後の気持ちは悪くなかったはずで、そういう忘れたことみんなは私の構成物質になっているはずで。
とはいえ覚えていた方がいいだろう、感想を書いて残すというのはそういうことで。
平行して永井均を読んでいるから、哲学というものの問いの幅にちょっとびっくりする。永井さんは道徳を問う人で道徳を教えることはあり得ないだろうから。でも道徳を教える人を読むのも好きだ。動物にも道徳がある、その普遍さから人の道徳を説くその流れはとてもなじみやすくて納得しやすい。「よだかの星」もそんな読み方をするのかと驚かされるのは嬉しい。殺し殺されたくないよだか。
道徳教育の時間はあるけれど、実際には何の教育もなされていないと彼は言う。けれど道徳教育とは君が代・日の丸でも教育勅語でもないという。さてそこで、教えるべきは何か?
これはもちろんその内容を提示するひとつの試みだけれど、それは今の道徳教育と何が違うのだろう。後ろに宗教がないということ?でも、この本がそうであるように神道も引き仏教も引き儒教も引きキリスト教も引く時の宗教って、宗教としての意味はもはやないのではなかろうか。この本を読んで私は考えるけど道徳の時間は嫌いだったことは、テキストのよし悪し、教師のよし悪しはもちろんだけどそれは結局程度の差だ(そもそも教師は悪かったのではなく普通だった、いや、よかったけどすごくよくはなかった、というだけだ。)。
もし本質的な差があるのなら、それはカリキュラムとして与えられるか自分で選ぶかの違いのように思っているのだけれど(だから本質的な差があるとすれば道徳教育なんて学校ではできない)、だからまあ、今の道徳教育だってやり方次第と言えばいいのか。(そうなのか?)
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